津和野の二大記念館「森鴎外記念館」と「安野光雅美術館」へ【青春18きっぷと路線バスで秘境温泉へ⑨】

益田駅から「スーパーおき」号で津和野駅まで行き、津和野の街を観光しました。この日は昨日とは趣向を変えて、森鴎外記念館と安野光雅美術館に行きました。津和野駅ではネット予約の切符を発券することはできないので、十分に注意しましょう。

(津和野駅前の「D51」1号機は昨日とヘッドマークが変わっていました!芸が細かい!)

・「スーパーおき3号で津和野駅へ

 「スーパーおき3号は益田駅1244発です。益田駅前には大きな商店は見当たりませんでしたが、駅舎内で簡単な食べ物を売っていたので、これを調達して列車内で昼食を摂ることにしました。「スーパーおき3号は3両編成でした。3両編成というと都会基準では短いですが、これがあるのとないのとでは大きな違いです。

 

(昨日とは逆方向の「スーパーおき」号に乗車します)

 

実際に乗車してみると、なかなかの乗車率でした。車内で昼食を食べ終わると、すぐに津和野駅に到着します。津和野駅1314到着、30分間の短い乗車でした。

 

(津和野駅を出発する「スーパーおき」号)

 

 津和野駅では、新山口駅から来た「DLやまぐち」号が入れ替え作業を行っていました。「DLやまぐち」号の乗客はすでに改札を出たようで、構内は空いていたので、跨線橋の上から入れ替え作業を見学することができました。山陰方面から「スーパーおき」号で津和野駅に来る人はあまりいないんですね…。

 

(本線上で折り返し作業を行う「DLやまぐち」号)

 

 津和野駅で帰りの「DLやまぐち」号の指定席券を受け取ります。…と思っていたのですが、津和野駅にはみどりの窓口指定席券売機もないので、ネット予約の切符を受け取ることはできません。津和野駅は津和野観光の玄関口であり、有人駅であるかのような印象を受けますが、駅で切符を販売しているのは津和野町観光協会の方であり、津和野駅はあくまで無人駅です。ネット予約で「SLやまぐち」号を予約している方は、津和野駅以外で発券する必要があるので注意しましょう。

 

(この作業風景は山口線の本数が少ないからこそのものです)

 

 山口線は運転本数が少ないので、この日「DLやまぐち」号に乗ることができないと困ったことになります。この日の「DLやまぐち」号は1554発ですが、これを逃すと1655発の普通列車まで約1時間待たなくてはなりません。これに乗ったとしても新山口駅まで約2時間乗りっぱなしなので、なかなかキツイです…。

 

(山口線の貴重な特急列車)

 

 一方、津和野駅では津和野町観光協会の方によって切符の委託販売が行われています。これによって、津和野駅でも「DLやまぐち」号の指定席券を買うことができます。これを利用して、ネットで確保していた「DLやまぐち」号の指定席券を一度キャンセルし、津和野駅の窓口で同じ席を取り直してもらうことにしました。一度キャンセルした分払い戻し手数料がかかってしまいますが、背に腹は代えられません…。次回以降注意しましょう(笑)。

 

森鴎外記念館と安野光雅美術館へ

 津和野でも益田と同じく自転車をレンタルします。益田では観光案内所によるレンタサイクルでしたが、こちらは民間によるレンタサイクルです。昨日は徒歩での津和野観光でしたが、その時にレンタサイクルの看板を見つけて、目をつけていたのでした。

 

(レンタサイクルをアピールする大きな看板)

 

 レンタサイクルで目指すのは森鴎外記念館です。森鴎外記念館は津和野駅から約 2 km のところにあり、歩いていくには少し遠いです。レンタサイクルはありがたいですね。

 森鴎外は明治時代の軍医・作家として有名ですが、津和野出身の人です。本名を森林太郎と言い、大正11年の死期に際しては、「石見人 森 林太郎トシテ死セント欲ス」という遺言を残しています。

 

(医者であり、かつ作家でもあった森鴎外)

 

森家は代々津和野藩の典医を務める家柄であり、鴎外は幕末期の1862年に生まれ、1872年に上京するまで10年間を津和野で過ごしました。上京の際には、同じく津和野藩の典医の家柄だった西周(にしあまね)を頼ったといわれています。西周も明治時代の啓蒙思想家であり、津和野藩からはたくさんの人材が輩出されていたことがわかります。

 

(森鴎外記念館からは森家の旧宅も見ることができます)

 

 森鴎外記念館は、森鴎外についての資料を展示する資料館であるとともに研究施設でもあり、講演会なども行われています。展示では、軍医・作家としての森鴎外の生涯について紹介されており、内容は津和野を出てからの森鴎外の生涯が中心でしたが、津和野藩での森家や森鴎外についても紹介されていました。森鴎外の作品の直筆原稿などもあり、森鴎外ファンなら訪れるべき場所ですね!

 

(森家旧宅)

 

 森鴎外記念館の隣には森鴎外旧宅もあり、こちらは国の史跡に指定されています。建物は1854年の火事の後に建てられたものであり、江戸時代末期の武家の暮らしを今に伝えています。こちらも森鴎外ファン必見ですね!

 

(旧宅の内部も外から覗くことができます)

 

 自転車を返却して、まだ出発まで時間があったので、駅近くにある安野光雅美術館に行きました。安野光雅は津和野町出身の画家・絵本作家です。本の装幀も多く担当しており、司馬遼太郎の「街道をゆく」などを担当しています。「街道をゆく」では、司馬遼太郎とコンビで旅することもあり、「安野画伯」として登場しています。

 

(安野光雅美術館)

 

安野光雅美術館は、安野光雅の作品を常設展示するための美術館として2001年に開館しました。こちらも館内の撮影は控えましたが、風景画や絵本、装幀画など様々な作品が展示されていて、今回訪れた1時間ではとても見切れない量でした。津和野町は人材が豊富ですね!

 

(森鴎外記念館にもポスターが貼ってありました)