レンタサイクルで「中世日本の傑作」益田観光【青春18きっぷと路線バスで秘境温泉へ⑧】

 益田は高津川と益田川にはさまれた河口の港町として発展し、室町時代には日本海を挟んだ東アジアとの交易で栄えました。室町時代の領主であった益田氏は、戦国時代には毛利氏に従属し、江戸時代には毛利氏とともに益田の街を去りました。そのため、益田は城下町としては発展しませんでしたが、そのことによって逆に室町時代の街並みがよく保存されています。水墨画で有名な雪舟が滞在したことから、雪舟が作庭した萬福寺や医光寺の庭園も現存しています。これらを踏まえて、益田は「中世日本の傑作」として日本遺産にも登録されています。

 

(赤い外観が特徴的な島根県芸術文化センターグラントワ」)

 

・レンタサイクルを借りて歴史文化交流館「れきしーな」へ

 益田駅前の観光案内所では自転車を借りることができます。このことは昨日来た時にリサーチして、あらかじめ予約も済ませておきました。自転車を10分ほど走らせて、まずは益田市立歴史文化交流館「れきしーな」へ向かいます。ここも観光案内所の方におすすめしてもらいました。

 

(益田駅に停まっていたキハ40系、こちらも赤い!)

 

「れきしーな」の建物自は郡役所として大正10年に竣工したものであり、建物自体にも歴史的価値があり、日本遺産の構成遺産でもあります。見た目としては昨日の津和野町役場と似た雰囲気で、建てられた時期や役割も、同じ大正時代の役所庁舎であり類似しています。

 

(もとは郡役所だった「れきしーな」)

 

 内部は大きく改装されており、益田の歴史などについて分かりやすく解説されていました。これから訪れる萬福寺や医光寺についても紹介されていました。いい予習になりましたね。

 

雪舟作庭の庭園を持つ萬福寺・医光寺へ

 続いて萬福寺へ移動します。萬福寺は、「れきしーな」から益田川を渡ってすぐのところにあります。萬福寺室町時代に益田氏によって創建されたお寺です。本堂は鎌倉様式の建築で、鎌倉様式を今に伝える建物として国の重要文化財に指定されています。

 

(鎌倉様式の萬福寺本堂)

 

また、寺には雪舟が作庭した庭園があります。様式としては池泉鑑賞式庭園で、お寺に座って眺めることを前提にした造りです。金閣の池泉回遊式庭園のスケールの大きさとはまた違った趣があると思いました。

 

(萬福寺庭園は雪舟の作庭)

 

 本堂も鎌倉様式であり、言われてみれば室町時代の京都の北山文化や東山文化の様式とは異なります。お寺にもいろいろあって面白いですね。

 

(医光寺総門)

 

 萬福寺の次は医光寺に向かいます。自転車を使えば、萬福寺から医光寺までは数分です。医光寺も室町時代の創建で、益田氏の支援を受けて栄えました。こちらにも雪舟作庭の庭園があり、こちらは池泉鑑賞半回遊式とされています。たしかに庭に面して寺の縁側が伸びており、左右から庭園を眺められるようになっていました。

 

(医光寺庭園も雪舟の作庭)

 

同時代の同一作者による庭園でも違いがあって面白いですね。「れきしーな」・萬福寺・医光寺はお互いに近い位置にありますが、駅からは少し離れているので、レンタサイクルなどを利用するのがおすすめです。

 

・石州瓦の「グラントワ」へ

 益田を出発するにはまだ時間があったので、島根県立石見美術館「グラントワ」に行くことにしました。「グラントワ」は山陰の名産である石州瓦をアピールしているのか、建物全体が赤く染まっていました。建物のインパクトがすごいですね!

 

(石州瓦の「グラントワ」)

 

 「グラントワ」では、ちょうど企画展として、津和野藩の絵師である山本琹谷(やまもときんこく)についての展示「没後150年 山本琹谷と津和野藩の絵師たち」が開催されていました。津和野というと現在は津和野町ですが、江戸時代 (幕末期) には益田市の西側は津和野藩領でした。ちなみに益田市の東側は浜田藩領でした。津和野と益田を観光した今回の旅行にぴったりの企画展ですね。絵画作品は撮影NGだったので写真はありませんが、津和野間の風景のほか生物を描いた絵なども多く、とても楽しめました。すっかり益田を満喫して、益田駅に戻ります。益田駅からは再び津和野駅に向かいます。

 

(道中には石見交通の車庫がありました)