「山陰の小京都」津和野を観光【青春18きっぷと路線バスで秘境温泉へ④】

「DLやまぐち」号の終着駅である津和野駅で途中下車し、津和野の町を観光しました。

 

(「DLやまぐち」号からたくさんのお客さんが降りてきました)

・津和野観光

 津和野駅の周辺は江戸時代後期から昭和初期の街並みがよく保存されており、重要伝統的建造物群保存地区 (いわゆる「重伝建」) に指定されています。重伝建は全国に見られますが、それぞれ日本の伝統的な街並みを見ることができるため、外国人観光客にも人気なようで、津和野でもたくさんの外国人を見ることができました。

 

(津和野駅前にはSLが展示されていました。ヘッドマークは「石見神楽」)

 

 津和野の開発は、鎌倉時代の後期に吉見氏が地頭として赴任したころから始まるようです。吉見氏は津和野城を築城し、その周辺部が町になりましたが、津和野城は山城であり、現在の市街地とはズレた位置にありました。現在の重伝建地区は「後田」と呼ばれ、当時は田畑が広がっていたと考えられています。

 現在の重伝建地区の街並みが形成されたのは、江戸時代に亀井氏が入城したころからです。津和野藩初代の亀井政矩 (かめいまさのり) は、大坂の陣の後に津和野城に入城し、それ以降明治時代まで11代にわたって亀井氏が津和野藩主を務めました。国替えのない安定した藩政が津和野の発展に貢献したということでしょうか。 

 

(重伝建エリアの酒蔵)

 

 津和野藩の武家屋敷は重伝建地区の一番南側にあり、殿町通りに面して建ち並んでいます。殿町通りはさらに北側に伸びていますが、武家にの外部では本町通りと呼ばれており、町人街になっていました。武家地に近いエリアには大型の商家が並び、その北側には、現在では大正期から昭和期の長屋建築が広がっています。津和野駅は重伝建地区の北側にあり、津和野駅を起点に観光すると、重伝建地区を北から南に向かって見ていくことになります。

 

(重伝建エリアの教会)

 

 重伝建地区の中には教会もあります。津和野には明治元年に、長崎の潜伏キリシタンが幽閉されて37人の殉教者が出ています。この教会は津和野カトリック教会で、殉教者をたたえるために建てられたものです。現在では国の登録有形文化財に指定されています。

 

(重伝建エリアの錦鯉)

 

 殿町通り沿いには水路がめぐらされており、水路には錦鯉が泳いでいます。8月の熱い時期だったので、錦鯉の泳ぐ姿が涼しげでした。鯉は丸々と太っていて、大事にされていることが伝わってきました。また、菖蒲棚も整備されており、時期によっては花菖蒲がきれいなようです。

 

(重伝建エリアの町役場)

 

 殿町通り沿いの武家屋敷の跡地は、津和野町役場になっており、建物は1919(大正8年) に鹿足郡役所として建築されたものです。大正期の和風公共建築の様式を今に伝えており、こちらも国の登録有形文化財に指定されています。100年以上にもわたって現役の役所として使われ続けているところが素晴らしいですね。

 

(こだわりの内装)

 

 8月の暑さはあまりに厳しかったので、通り沿いのカフェ「沙羅の木」さんで休憩することにしました。内装はレトロな感じで、壁にかかっている装飾も趣のある雰囲気です。「源氏巻」が名物とのことで、コーヒーと源氏巻のセットをいただきました。源氏巻は津和野町の銘菓で、小豆を煮詰めた餡をカステラのような生地に包んだものです。源氏巻は幕末期に考案されたもので、藩主の正室が紫色の餡から源氏物語の中の和歌を連想したことから「源氏巻」と名付けられたそうです。餡の甘さがコーヒーとよく合って、おいしくいただきました。

 

(源氏巻の甘みがコーヒーのうまみを引き立てる)