大津から普通列車最速乗換で沼津へ、沼津から東海道線旧ルートで移動【青春18きっぷで大津→東京東海道線 (旧線) の旅①】

大津から東京まで、青春18きっぷを使って移動しました。今回は御殿場線を経由し、明治から昭和初期までの東海道線をたどってみました。

 

・大津→米原豊橋

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(大津駅から221系普通電車に乗車)

 

 大津からは8:11発の新快速に乗る…予定でした、が、寝坊して乗り遅れてしまいました。実家にいるとつい気が緩んでしまいますね (はい、言い訳です)。仕方なく後続の8:16発の普通電車に乗車しました。琵琶湖線ではおなじみの221系電車での運転です。この区間は新快速でさっさと移動することが多いのですが、今回はのんびりとした旅路です。約1時間電車に揺られて、9:16米原着。米原駅の直前で新幹線に追い抜かれました。

 

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(今日1日で何本もの新幹線に追い抜かれてしまいます)

 

 米原からは9:18発の特別快速に乗り継ぎです。もともとの旅程では8:55に米原に着いて、20分の余裕があるはずでしたが、それが2分まで縮まってしまいました。乗り換え時間が少なく焦りましたが、何とか間に合いました。また、先に到着した新快速からの乗り継ぎ客で、車内は大混雑でした。ともあれ、これで元々の旅程に復帰することができました。旅程を組むときに余裕を持たせておいて正解でした。

この特別快速に乗ると一気に豊橋まで行くことができます。米原―大垣間は折り返し電車が多いですが、一部は直通電車も運転されています。今回はその直通電車に乗って、快適に移動しようと考えたわけです。それだけに確実に座席を確保しておきたいところでした。元々は、9:16米原駅着の普通電車からの乗り継ぎ客よりも早く着いて座席を確保するために、1本速い電車にしていたのですが、寝坊してその普通電車に乗る羽目になり、座席争奪戦に巻き込まれることになってしまいました。とはいえ、なんとかクロスシートの通路側を確保することができました。

 

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(だんだん晴れてきました)

 

滋賀県内は曇り空でしたが、名古屋を過ぎたあたりで晴れてきて、三河地方に入る頃にはすっかり良い天気でした。11:27豊橋駅着。2時間と少しで、岐阜県と愛知県の大半を走り抜けることができました。東海道線の特別快速は素晴らしい走りです。

豊橋駅は、特別快速から吐き出された乗客でものすごい混雑でした。この日はUターンラッシュの日に当たっていたようで、要所要所でこのような混雑に出くわしました豊橋―浜松間も、米原―大垣間と同じく、基本的に折り返し運転です。この辺りは通勤通学圏の境界にあたっているのでしょうか。豊橋からは快速がなくなり、ここから熱海まで、基本的に普通列車のみの運転となります。

 

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(豊橋駅は大混雑でした)

 

豊橋からの普通電車は早めに入線してくることが多いです。今回もそのパターンで、211系電車が早めに入線してきました。また、運よくクロスシート車だったので、出発前に昼食を食べることにしました。腹ごしらえが済むとともに出発、11:42豊橋駅発。

この辺りはよく晴れていて、往路に続いて復路でも美しい浜名湖を眺めることができました。浜名湖を過ぎるとすぐに浜松です。12:15浜松駅着。

 

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(浜松までも浜松からも211系電車でした)


浜松からは再び211系電車に乗車。この辺りは313系が多いはずですが、珍しく211系が続きます。12:27浜松駅発。この電車は興津行きでしたが、途中の島田駅で後続の島田駅始発の電車に乗り換えることにしました。興津駅でこの電車に乗り換えることできますが、そうすると座席が埋まっているかもしれません。始発駅から乗っておくことで、座席に座っていられる区間を伸ばすことができるというわけです。

 

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(島田駅にて313系電車に乗り換え、始発駅からの列車に乗車することで確実に座席を確保します)

 

島田駅には13:12に着いて、13:25に出発。島田駅始発の電車は313系でした。満を持しての登場ですね。この辺りは、焼津、静岡、清水など大きな駅がいくつかありますが、いずれも降りたことがある駅なので、今回はスルーします。静岡県を抜けるのはあと少しというところの沼津駅で、御殿場線に乗り換えることにします。14:49沼津駅着。大津からここまで普通列車で移動した場合の最速乗換でやってきました。疲れがたまってしまいました。いつもなら間で途中下車して観光がてら休憩するところなのですが…。今回は御殿場線に乗車しようと考えていたのです。

 

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(沼津にて御殿場線に乗り換え、ここまで普通電車による最速乗り継ぎでした!!)

 

・沼津→御殿場

 沼津―国府津間の御殿場線は、前線を通して単線であり、ローカル線の雰囲気が強い路線です。しかし、1889年の開業当時は東海道線の一部として開業しており、当初は幹線として整備されました。もともと、東海道は小田原、三島、沼津へと至る通るルートでしたが、当時の技術では箱根の外輪山を超えるのが難しく、これを迂回するルートとして御殿場線ルートが計画されました。ちなみに、東海道線が小田原を迂回したことで地域住民から小田原の衰退を危惧する声が高まり、小田急小田原線の計画が起こる一因になったとも言われています。

 

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(小田急線は、今や御殿場にも乗り入れています)

 

御殿場線ルートは山越えの区間であり、明治・大正時代の機関車では馬力に限界があり、輸送のネックになっていました。そのため、下り列車は国府津駅で、上り列車は沼津駅で補助機関車の連結を行い、途中の御殿場駅で補助機関車を切り離すという運転形態をとっていました。これにより、これらの駅には多くの列車が停車するようになり、これらの駅は鉄道の街として大きく栄えることになりました。また、補助機関車にはその時代ごとの最強馬力の機関車が当てられました。

 この抜本的な解決策として、山を越えるのではなく平坦なルートを通るバイパス線が検討され、熱海付近に丹那トンネルが建設されることになりました。丹那トンネルは1918年に着工され、42名もの犠牲者を出しつつ、16年にわたる難工事の末、1934年に完成しました。丹那トンネルの開通と共に、東海道線は現在のルートに替わるとともに、輸送障害は解消されました。同時に、旧東海道線は御殿場線と名前を改め、区間運転を行うことになりました。太平洋戦争中は不要不急路線に指定されて、鉄材を供出するために複線の線路のうち片方が撤去されて単線化され、そのまま現在に至っています。

 

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(御殿場線でも313系に乗車)

 

 前置きが長くなりましたが、御殿場線の普通電車は15:01に沼津駅を出発しました。沼津駅を出てから少しすると、富士山が迫ってきます。御殿場線は、富士山の外縁を回るようにして高度を上げていきます。30分ほどで御殿場駅に到着します、15:35御殿場駅着。

 

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(身延線の富士山もよいですが、御殿場線の富士山も美しいものです)