大井川鉄道での観光を終えて、金谷駅から浜松駅に移動しました。この日は浜松に宿泊し、次の日の移動に備えました。帰省を1泊かけて行うのは初めての経験です。
(6両編成の普通列車、通勤需要への対策でしょうか)
・金谷→浜松
(ホームで電車を待っていると、211系と313系の混結編成がやってきました。本線の他に中線も見えます)
大井川鉄道での観光を終えて、帰省の旅に復帰します。金谷に着いたときはまだ朝でしたが、すっかり夕暮れ時になってしまいました。この日は浜松に泊まるため、もう少し移動を続けなければなりません。浜松行きの列車を待っていると、反対側にも列車がやってきました。211系と313系の混結編成でした。313系電車はJR東海の新型普通電車で、JR東海の「標準普通電車」と言われています。設備の一部をカスタムしていろいろな路線に投入されていますが、211系と協調運転もできるとは驚きです。地元の方にとっては当たり前の光景なのでしょうか。駅の線路を観察すると、ホームが設置されている線路の他に中線があります。これはかつて、貨物を取り扱っていた時の名残でしょうか。金谷駅で接続する大井川鉄道はかつて貨物の取り扱いがあり、金谷駅からJR線に接続していたそうです。
金谷駅16:36発。浜松までは30分ほどでした。浜松駅17:16着。この日の移動は浜松まで、浜松駅には「出世大名家康くん」がいらっしゃいました。
(浜松駅を見守る出世大名家康くん)
かの徳川家康は、豊臣秀吉によって関東に移封されてから江戸の町づくりを始め、今日の東京の繁栄の基礎を築きましたが、もともとは東海が地盤であり、その本拠地は浜松城でした。徳川家康が浜松を本拠地としたのは1570年、武田信玄に備えての事です。徳川家康は、ここから、今川氏の遠江・駿河を切り取り、武田氏の信濃を切り取り、東海の覇者への道を歩み始めます。1584年の小牧・長久手の戦いでは、織田信長に替わって天下取りの事業を進めていた豊臣秀吉と対峙しました。小牧・長久手の戦いでは決着は着きませんでしたが、結果として家康は「秀吉に負けなかった男」ということで、豊臣体制の下でも重い地位を占めることになりました。徳川家康は、浜松に拠点を移してから、見る見るうちに出世したのです。というわけで「出世大名家康くん」と呼ばれていたりします。
・おまけ
高塚駅で普通列車を待っていると、反対ホームに373系電車入ってきました。373系は特急用車両ですが、普通列車として運用されていました。この普通列車は、浜松発豊橋行きですが、沼津発浜松行きの「ホームライナー浜松3号」がそのまま運用されているようです。JR東海の乗り得列車のご紹介でした。