鹿児島本線と久大本線を乗り継いで筑後吉井へ【福岡県内JRローカル線の旅①】

久留米駅から久大本線に乗り換え、筑後吉井駅の近くの重伝建地区を見物しました。

 

(久留米駅から乗ったキハ200系)

鹿児島本線から久大本線に乗り換え 

 「ローカル線の旅」と言いながら、九州が誇る大幹線である鹿児島本線からスタートです。最初だけなのでお許しを…。最寄りの大野城駅から、久大本線の起点である久留米駅へ向かいます。電車を待っていると博多駅に向かう885系が走り抜けていきました。

 

(青春18きっぱー憧れの特急列車)

 

今回は青春18きっぷの旅なので特急列車に名乗りません。久留米駅には9時ごろに着きました。普段の青春18きっぷ旅よりも遅めの朝ですが、久大本線の本数が限られているのと、最初の目的地である筑後吉井駅の着時刻を考えると、この時間がちょうどよいのです。

 

(私が乗ったのはこちらの電車)

 

 久留米駅からは久大本線に乗り換えです。久大本線久留米駅大分駅を結ぶ路線で、「本線」を名乗ってはいますが「幹線」ではなく「地方交通線」であり、ローカル線といったも差し支えないでしょう。全線にわたって非電化路線でもあります。一方で、博多駅から由布院駅大分駅まで特急「ゆふいんの森」号と「ゆふ」号が直通しており、多数の観光客を運んでいます。特に、「ゆふいんの森」号はJR九州最初のD&S列車であり、外国人観光客にもとても人気です。

 

(キハ200系)

 

 今回は青春18きっぷの旅なので「ゆふいんの森」号には乗らず、キハ200系の普通列車に乗車します。キハ200系のデザインは水戸岡鋭治氏率いるドーンデザイン研究所が担当しており、内装は普通列車としてはなかなか豪華です。811系や813系のように普通列車にもお金をかけるというのがJR九州の特徴のようです。

 

(キハ200系の豪華な内装)

 

 博多方面からやってくる観光客はみんな特急列車に乗っているためか、キハ200系の普通列車は空いていました。久留米駅を出発してしばらくすると、車窓は耳納山地の景色になります。山を背景とするきれいな車窓に見とれていると、最初の目的地である筑後吉井駅に到着しました。

 

(雄大耳納山地の風景)

 

・吉井地区の重要伝統的建造物保存地区「白壁の町並み」を散策

 筑後吉井駅は、旧吉井町の中心駅でしたが、旧吉井町は現在は合併によりうきは市の一地域になっています。筑後吉井駅23線の国鉄型配線の駅で、開設当時からのものと思われる趣ある木造駅舎になっています。

 

(筑後吉井駅)

 

 駅から少し歩くと、需要伝統的建造物保存地区である「白壁の町並み」に入ります。吉井地区は、江戸時代から城下町久留米と天領日田を結ぶ吉井街道沿いの宿場町として発展しました。その後、治水・利水事業によって穀倉地帯になるとともに水運による商品の集散地になり、商業が発達しました。吉井地区で発達した特有の金融業は「吉井銀(よしいがね)」と呼ばれています。

 

(吉井地区の水路)

 

 一方で、吉井地区は何度も大火に見舞われ、火事への対応のために耐火性の強い土蔵造の商家が増えていきました。吉井地区で発達した豪華な土蔵造りの屋敷を「居蔵屋」と言います。明治大正期に確立された立派な白壁の「居蔵屋(いぐらや)」の町並みは、戦前の世界恐慌や戦後の農地改革で吉井の商家が衰退する中で空き家が増えていきました。そこで、1980年代から官民一体で町並みの保存と修復が開始され、1996年に重要伝統的建造物保存地区に指定されています。

 

(吉井地区には水路が張り巡らされています)

 

 土蔵造りの「居蔵屋」の典型例として、旧松田家住宅が吉井町(現うきは市)によって保存され、無料で公開されています。旧松田家住宅は大正初期に改装されたときの姿で保存されています。松田家は、もとは当時この辺りの特産だった精蝋業で財を成した一族で、この屋敷の持ち主は分家筋で銀行業を営んでいたそうです。農産物の商いから派生して金融業へという吉井の発展を象徴するような一族ですね。

 

(立派な神棚)

 

 内部には豪華な造りの神棚や襖絵・欄間などがあり、大正時代当時には最先端だったと思われる風呂場やトイレといった水回りも公開されています。いろいろなものが良い状態で保存されており、見ていて飽きないですね。

 

(当時最先端だっただろう水回り)

 

 旧松田家住宅が面白くて、時間ぎりぎりまで見てしまいました。急いで筑後吉井駅まで戻り、やってきた気動車に乗車しました。

 

(階段周りまで装飾が施されていました)