松山港と伊予鉄道の歴史紹介【松山・広島割引きっぷの旅⑥】

伊予鉄道高浜線は、松山の市街地と松山の外港である三津浜港を結ぶ路線として建設されました。伊予鉄道は地方私鉄でありながら、現存する中で2番目に古い鉄道会社です。松山の外港は三津浜港から高浜港、松山観光港へと移り変わりましたが、高浜線の役割は変わらず、これらの港と松山市街地を結んでいます。

 

(みかん色が印象的な伊予鉄の車両)

松山港伊予鉄道の歴史

 ここからは伊予鉄道高浜線で松山の中心部に向かいます。スーパージェットが発着する松山観光港は、フェリー等の大型化に伴って高浜港の北側に新設された港です。もともと松山の主な港は高浜港であり、伊予鉄高浜線高浜駅も高浜港の近くにあります。

 

(松山観光港からの景色)

 

そのため、高浜駅から松山観光港までは800 m ほど離れており、伊予鉄グループによって連絡バスが運行されています。また、松山観光港から松山の中心部にリムジンバスも運行されています。「松山・広島割引きっぷ」では、伊予鉄高浜線またはリムジンバスを使って、松山の市街地まで行くことができます。ちなみに、高浜港も明治期に伊予鉄が中心になって開発した港であり、それ以前は松山の外港としては三津浜港が利用されていました。

 

(高浜駅の先には意味ありげなスペースが広がっています)

 

 三津浜港と高浜港の歴史は伊予鉄道の歴史とも重なります。伊予鉄道1887(明治20) に創立し、現存する私鉄の中では2番目に古い鉄道会社です。ちなみに、現存する最古の私鉄は、1885年開業の南海電鉄 (当時は阪堺鉄道) です。伊予鉄道創立者である小林信近は、松山の外港である三津浜松山市街地を結ぶ鉄道が必要であると考え、比較的建設費用の安い軌間762 mm 軽便鉄道を採用し、松山―三津浜間を1888(明治21) に開業させました。

 

(伊予鉄道松山市街地と外港を結ぶ鉄道として建設されました)

 

明治期から現在にわたって鉄道の大動脈である東海道本線の全通が1889年であり、当初は「地方に鉄道など時期尚早」として鉄道局から許可が降りませんでしたが、小林信近が鉄道局の井上勝らに直談判して許可を取ったそうです。

 

(高浜港は松山観光港に代替されましたが、今でも一部フェリーが運航されています)

 

 この時は松山―三津浜間の路線でしたが、伊予鉄道では天然の良港である高浜に注目し、1892(明治25) 三津浜―高浜間を延伸しました。伊予鉄道では、高浜港に桟橋を建設するなどして、三津浜港の航路を高浜港に移すことに成功しました。

 

(柱の曲線が美しい高浜駅)

 

その後、1931年に軌間762 mm から1067 mm 狭軌に改軌され、同時に電化されて今に至ります。伊予鉄道では建設の経緯から、路線によって 762 mm 軽便鉄道から1435 mm 標準軌まで様々な軌間の路線が混在していましたが、現在では松山市内線 (路面電車) も含めて1067 mm 狭軌に統一されています。

 

(時代を感じさせる高浜駅舎)

 

 高浜港は長らく松山の外港として機能しましたが、船舶の大型化に伴って手狭になり、1967年に高浜港の北側に松山観光港が新設されました。これにより関西、九州、広島方面のほとんどの航路は松山観光港に移り、伊予鉄道高浜駅から松山観光港に行くには連絡バスを利用する必要が生じました。高浜駅から松山観光港まで線路を延伸する計画もありますが、現在まで実現には至っていません。ちなみに、高浜駅から松山観光港までは約800 m なので、歩いていけないこともありません ()

 

(JR松山駅伊予鉄松山駅前停車場)