きぬかけの路で龍安寺と金閣散歩【1日京都散歩②】

「きぬかけの路」は宇多天皇の逸話にもとづく散策路で、この道沿いに仁和寺龍安寺金閣という世界遺産を巡ることができます。

 

(どこから見ても金色の金閣)

・「きぬかけの路」で龍安寺

 仁和寺から龍安寺金閣までは観光道路が整備されており、「きぬかけの路」という愛称がついています。これは、「宇多天皇が真夏に雪見をするために衣笠山に白絹をかけた」という故事にちなむものです。真夏に雪見とはさすがは当時の最高権力者ですね。散策路として紹介されることもありますが、立派な対面通行の車道が整備されており、自動車の通行も多く、時期によっては観光バスなどで混雑するようです。

 

(きぬかけの路沿いに世界遺産をまわります)

 

 仁和寺から龍安寺までは歩いて10分ほどです。龍安寺臨済宗のお寺で室町時代の創建です。応仁の乱で焼失しましたが、その後再興され、豊臣秀吉や徳川氏の寄付もありその頃は栄えました。有名な石庭は、室町時代末期の作と考えられていますが、作者は不明とのことです。石によって自然を抽象的に表し、枯山水庭園の極致を示したものとして、世界的にも知られています。室町時代創建と聞くと仁和寺と比べて最近な気がしますが、十分に古いですね。龍安寺も国の重要文化財世界遺産であり、方丈庭園 (石庭) は国の史跡・特別名勝にもなっています。

 

(有名な龍安寺の石庭)

 

 龍安寺の建物の中に入ると、見学コースが整備されており、最初に方丈庭園 (石庭) を見ることができます。いつも観光客で賑わっているので、座禅を組んで瞑想にふけるということは難しいですが、とりあえず石庭をじっくり見ることができます。石庭の隅に「吾れ唯だ足るを知る」の手水鉢があり、これが水戸光圀公寄進の「知足の蹲踞 (つくばい)」かと思ったのですが、これは複製だそうです。

 

(知足の蹲踞 (つくばい))

 

「蹲踞 (つくばい)」とは茶室に入る前に手や口を清めるための手水鉢のことで、真ん中の正方形の水溜めを「口」と見て「吾れ唯だ足るを知る」と読むそうです。「吾れ唯だ足るを知る」とは、「知足のものは貧しといえども富めり、不知足のものは富めりといえども貧し」という禅の格言です。哲学的ですね。

 

(内部の襖絵も見ることができます)

 

 建物を出ると納骨堂へと順路が続いていきます。納骨堂のあたりにはちょうど梅が咲いていてきれいでした。龍安寺といえば石庭というイメージですが、四季折々の植物を楽しむこともできます。

 

(龍安寺では桜が見ごろでした)

 

最後に池を廻って出口に至ります。この池は鏡容池と呼ばれ、周囲を回る池泉回遊式庭園となっています。室町時代から江戸時代のまさに龍安寺が栄えた時代に好まれた様式ですね。

 

(鏡容池)

 

 龍安寺を出て、再び「きぬかけの路」を通って金閣を目指します。ちょうどお昼時になってきたので、道中のカフェでランチを取ることにしました。入ったのは「山猫軒 (Cafe Yamaneko)」というお店で、名物とのことでワッフルプレートをいただきました。朝から歩いてばかりだったので、椅子に座っていい休憩になりました。「きぬかけの路」沿いの立命館大学衣笠キャンパスのすぐ裏手にあり、オシャレな雰囲気を漂わせていました。

(山猫軒でワッフルプレートをいただきました)

 

金閣

 山猫軒を出て「きぬかけの路」を20分ほど歩くと、かの有名な金閣に着きます。金閣は正式には鹿苑寺といい、「金閣」の名前で誰もが思い浮かべる金色の建物は、鹿苑寺の建物の1つである舎利殿に当たります。

 鹿苑寺は元々は西園寺と呼ばれ、西園寺家の持ち物でしたが、足利義満が譲り受けて改築し、規模を拡大しました。義満が移り住んだ後の西園寺 (後の鹿苑寺) は政治の中心として機能し、舎利殿 (金閣) 1399年に完成したとされています。義満の没後は、義満の法号である「鹿苑院殿」にちなんで鹿苑寺という名前が定着しました。

 

(「金閣」と聞いてだれもが思い浮かべる景色)

 

金閣応仁の乱では焼け残り、戦後まで現存していましたが、1950年に学僧の放火により焼失し、後に再建されました。この事件は「金閣寺放火事件」と呼ばれ、三島由紀夫の「金閣寺」などの題材になっています。現在の金閣は明治の解体修理の際の図面や古文書などをもとに1955年に再建されたものです。もはや言うまでもないことですが、金閣世界遺産古都京都の文化財」の構成遺産になっています。

 

(オシャレな拝観券)

 

 門をくぐって鹿苑寺の境内に入ると、すぐに池に突き当たり、池越しに金閣を見ることができます。この池は鏡湖池と呼ばれ、風がなく湖面が静かだと、湖面に逆さ写しになった金閣を見ることができます。私が行ったときは少し波が立っていましたが、金閣の金色は良く目立ち、湖面にも映っている様子が観察できました。鏡湖池はどこから見ても金閣が美しく見えるように設計されているともいわれ、当初は池泉回遊式庭園として設計されたそうです。

 

(裏側から見た金閣)

 

池の周りを巡りながら金閣を眺めることが前提だったということですね。現在の拝観路は金閣を見ながら池を半周するように整備されており、金閣の裏側を廻った後に山側に折り返して帰ってくるようになっています。折り返し地点には売店があり、たくさんの人がお土産を買っていました。私は人混みを避けて、滝を見るなどして帰ってきました。

 

(鹿苑寺の一角にある滝)