特急「宇和海」で宇和島へ、宇和島城を観光【四国満喫きっぷの旅2日目①】

2日目は伊予大洲駅を出発し、特急「宇和海」号で宇和島駅に移動しました。宇和島駅は予讃線の終点で、JR四国の西の端にあたります。宇和島では宇和島城を見学しました。宇和島藩は幕末の雄藩で、この地から全国区の人物が多数出ました。

 

・特急「宇和海」号で伊予大洲宇和島

 この日は伊予大洲を出発し、宇和島、高知を経由して、徳島まで行くハードな旅程です。朝に伊予大洲を出発しました。伊予大洲は「伊予の小京都」とも言われ、江戸時代の城下町の雰囲気を残す観光地です。伊予大洲も見ていきたかったのですが、今回は旅程の都合上スキップします。また機会があれば訪れてみたいです。

 

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(伊予大洲駅の駅舎は、観光地の玄関口にふさわしく改装されていました)

 

 伊予大洲駅から特急「宇和海」号に乗車しました。「宇和海」号は、松山―宇和島間を結ぶ特急列車で、2000系気動車N2000系気動車によって運転されます。2000系気動車はとにかくすごい形式で、これについては他の記事で解説しています。「宇和海」号の運転間隔は1時間で、1日に16.5往復運転されており、気動車特急としては日本一の本数を誇っております。松山―宇和島間の輸送密度からすると、1時間に1本の特急というのはかなり頑張っているといえるのではないでしょうか。

 

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(ホームの有効長は長く、その昔は長編成の列車が走っていたことを思わせます)

 

当初、「しおかぜ」号が岡山―宇和島間を結んでおり、「宇和海」号は松山止まりの「しおかぜ」号の補完的な役割を担うための臨時列車として、運転が開始されました。JR四国の施策により予讃線伊予市駅 (松山駅よりも少し宇和島寄り) までの電化が完了し、岡山―松山間の「しおかぜ」号に8000系電車が投入されるようになり、最終的に「しおかぜ」号は全列車が松山止まりとなり、現在に至ります。「しおかぜ」号の電車化により、当初「しおかぜ」号として使われていた2000系気動車が大量に余剰になりました。これらの2000系気動車が、現在「宇和海」号として活躍しているわけです。

 

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(この日の「宇和海」は4両編成のアンパンマン列車でやってきました)

 

いずれにせよ、1時間に1本の「宇和海」号があることによって、この度の旅程組み立てもかなり助けられています。私が乗る「宇和海」号はアンパンマン列車の「ロールパンナ号」によって運転されていました。アンパンマン列車は、アンパンマンの作者である漫画家やなせたかし高知県の出身であることにちなんで、高知県で運行されたのが始まりです。これが子供たちに大人気だったようで、2000系気動車の一部がアンパンマン列車化され、今では四国各地を走っています。内装もアンパンマン、車内放送ももちろんアンパンマン (戸田恵子さん) で、乗っている間はずっとアンパンマンに浸ることができます。45分ほどで宇和島駅に到着しました。

 

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 (内装にもアンパンマンのキャラクターが描かれていました)

 

宇和島城に登城

 宇和島駅で予土線に乗り換えるまで1時間半ほど時間があったので、宇和島城を見ていくことにしました。「平山城」と呼ばれる城で、天守は山の上にあります。宇和島城の縄張りは築城の名手である藤堂高虎によってなされましたが、堀をはじめとして縄張りのほとんどは明治時代以降に取り壊されてしまいました。現在残っているのは天守を中心とする一部のみで、天守閣が山の上にあるという点が藤堂高虎の縄張りを偲ばせるのみとなっております。

 

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(宇和島城天守閣は小高い山の上にあります)

 

 その天守は伊達氏の建築によるものです。伊達氏は、江戸時代を通じて宇和島藩を治めました。伊達政宗と言えば戦国時代の東北の覇者ですが、伊達宇和島藩の初代伊達秀宗は、伊達政宗の長男にあたります。秀宗は伊達家の長男でしたが、「秀」の字からもわかるように、秀吉の猶子として豊臣家に縁の深い人物でした。そのため、江戸幕府の世では仙台伊達藩を継ぐことができず、仙台伊達藩は弟の伊達忠宗が相続しています。伊達政宗大坂冬の陣の戦功により、宇和島10万石を与えられており、秀宗はこれを相続する形で宇和島伊達藩を興しました。

 

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(時の流れを感じさせる石段)

 

 というわけで、山頂の天守に登ってみました。天守台までの道も昔のままのようで、軽い山登りをしているようでした。天守閣は昭和時代に修理を受けてはいますが、伊達氏の時代のままで、現存する12天守のうちの一つです。

 

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(天守からは宇和海を見下ろすことができます)

 

天守からは宇和島の街を一望することができ、今は埋め立てられて遠くになってしまった宇和海や、特急「宇和海」号も見ることができました。

 

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(天守からは「宇和海」を見下ろすことができます)

 

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(天守は小さいながらも優美なつくりです)

 

天守閣から少し山を下りたところにある「城山郷土館」では、おもに幕末から明治期にかけての宇和島にゆかりある人々について学ぶことができました。宇和島藩は幕末には雄藩とされ、伊達宗城 (むねなり) は福井藩松平春嶽土佐藩山内容堂薩摩藩島津斉彬とともに幕末の四賢候と呼ばれました。伊達宗城は富国強兵策を取り、洋式兵制を整えました。また、高野長英大村益次郎などを迎え、藩の近代化に力を入れました。

天守閣と城山郷土館でいい感じに時間がつぶれたので、宇和島駅に戻ります。宇和島駅からは予土線に乗車しました。

 

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(宇和島駅の改札口は懐かしい雰囲気です)