湯浦駅から日奈久温泉駅まで列車で移動しましたが、この区間は八代海の近くを通る区間でもあり、海の車窓がきれいです。

(後方展望で見る八代海)
・湯浦駅から日奈久温泉駅へ
湯浦駅で待っていると、列車が2両編成で入線してきました。13時台の便が運休している代わりに、この列車を2両編成で運行しているようです。肥薩おれんじ鉄道ではワンマン運転の場合、1両目から乗り降りすることになっており、2両目の扉は開きません。そのせいか、2両目には誰も乗っておらず、貸し切り状態で利用することが出来ました。後ろの車両は「My Melody Kuromi」とのコラボ車両で、ピンク色の車両を1人で楽しむことが出来ました (笑)。

(乗車すると My Melody Kuromi がお出迎え)
湯浦駅の3つ先の肥後田浦駅では、反対方向の列車と行き違いを行いました。肥薩おれんじ鉄道の普通列車は短編成の気動車ですが、肥後田浦駅はこれに不釣り合いなほど有効長が長く取られています。これはこの区間に長編成の特急列車が乗り入れていた時代の名残であり、現在でも貨物列車が通る際に利用されているのかもしれません。また、このような構造が残っているおかげで、「ななつ星 in 九州」や「36ぷらす3」といった長編成の臨時列車も入線できるようになっています。

(やたらと長い有効長)
肥後田浦駅の次のたのうら御立岬公園駅を過ぎると、八代海を近くを通るエリアになります。八代海は九州と天草列島に囲まれており、干満差の小さい穏やかな海として知られています。

(不知火海の風景)
この日は良く晴れており、穏やかな八代海の車掌を楽しむことが出来ました。この車窓をかつては在来線の特急列車から眺めることが出来たと思うと羨ましい気持ちにもなります。八代海が線路から離れたかと思うと次の目的地である日奈久温泉駅に到着です。

(河口の鉄橋を渡ります)
・日奈久温泉を散策
日奈久温泉は熊本県内で最も長い歴史を持つ温泉街とされています。その歴史は1409年にさかのぼり、浜田六郎が父親の刀傷を癒そうと神に祈ったところ発見したとされています。江戸時代には細川藩の藩営浴場があり、薩摩街道沿いに位置したことから島津藩も参勤交代の際に使用したそうです。

(日奈久温泉駅)
日奈久温泉の温泉街は日奈久温泉駅から徒歩10分程度のところにあります。昭和の中頃までは駅と温泉街を結ぶ馬車があったそうですが、今は歩くしかありません。駅から国道3号線を歩いていくと、途中で薩摩街道の旧道との分岐点があり、せっかくなのでこちらから行くことにしました。薩摩街道の方に入ると道幅が狭く、なんとなく江戸時代の雰囲気を残しているようです。

(ここから薩摩街道の旧道に入ります)
ちょうどお昼時だったので、道沿いのラーメン屋さんで昼食を摂ることにしました。平日の昼下がりということで店内は空いており、ゆっくりとラーメンをすすることが出来ました。

(ランチにいただいたラーメン)
観光案内所で情報収集をしたところ、周辺の歴史を巡る散策コースがあるとのことだったので、コース通りに歩いてみることにしました。さすがに室町時代からある温泉街ということで、歴史に厚みがあるようです。

(なまこ壁)
散策コースを歩いていると家が石垣の上に建っているエリアがありました。この石垣は干拓の跡で、この辺りのエリアは江戸時代末期から明治時代にかけて干拓によって出来た土地だそうです。

(高台に移転した温泉神社)
温泉街の山の手には温泉神社がありました。温泉神社は古くは温泉街の中にありましたが、火事で焼けてしまったため、この地に移って再建されたそうです。本殿前からは日奈久温泉の温泉街から八代海にかけてのエリアが見通せていい気分でした。神社には江戸時代の温泉街の様子を描いた図もあり、干拓が行われる以前の様子も感じることが出来ました。

(温泉神社からの眺め)
散策コースで最後に訪れたのは戦前の木賃宿「織屋」を保存した建物です。木賃宿とは相部屋で格安で宿泊できる宿屋で、炊事に用いる蒔代で泊まれることからそう呼ばれました。現代のカプセルホテルのようなものでしょうか。この宿には戦前期の放浪の俳人である種田山頭火も投宿したそうです。種田山頭火は日奈久温泉を気に入ったようで多くの俳句を残しており、温泉街にもところどころに種田山頭火の俳句が掲げられています。

(織屋の内観)