新飯塚駅から後藤寺線と日田彦山線を乗り継いで小倉方面に向かいます。小倉駅まで行くと大回り乗車が終了してしまうので城野駅で乗り換えました。
(BRTひこぼしラインカラーのキハ40系)
新飯塚駅からは後藤寺線に乗り換えます。後藤寺線は新飯塚駅―田川後藤寺駅間を結ぶ13.3 km、途中駅4駅の短い路線です。全線非電化で、キハ40系1両編成または2両編成によって運行されています。
(後藤寺線はキハ40系単行で運行されます)
このように書くと利用者のいないローカル線の雰囲気ですが、私が乗車したときは全てのボックスに乗客がいるぐらいの乗車率で、それなりに利用されているようでした。車内は鉄道マニアというよりも一般の利用者が多いような雰囲気で、地元の方に利用されている印象を受けました。後藤寺線の運転頻度は1時間に1本程度で、利用できなくはない程度の本数が確保されているようです。
(単行の気動車はなかなかの乗車率でした)
後藤寺線内ではIC乗車券を利用して出入場することはできませんが、IC乗車券を利用して乗り通すことはできます。後藤寺線は乗るときに整理券を取って降りるときに車内で料金を支払う方式のワンマン運転であり、後者の時にIC乗車券で入場したことを申告すれば問題なく降ろしてくれます。
(田川後藤寺駅に到着)
終点の田川後藤寺駅までは約25分の乗車でした。田川後藤寺駅は後藤寺線と日田彦山線の接続駅であるほか、平成筑豊鉄道の糸田線も乗り入れています。平成筑豊鉄道はJR九州の伊田線・糸田線・田川線を継承して開業した第三セクター鉄道であり、要はもともとはJRでした。田川後藤寺駅には日田彦山線・後藤寺線・糸田線の3路線が乗り入れ、4方面に線路が伸びていたわけです。筑豊地域が石炭産業で栄えていたころは、さぞ賑わっていたことでしょう。
(BRTひこぼしラインカラーのキハ40系と平成筑豊鉄道の黒銀列車)
平成筑豊鉄道は国鉄・JR時代の施設をそのまま使っていることもあり、田川後藤寺駅では今も当時の面影を見ることができます。田川後藤寺駅が今では衰退してしまったかのような書き方ですが、この駅から日田彦山線で小倉駅方面へ、後藤寺線と福北ゆたか線で博多駅方面へ出ることができ、両都市への需要があるためか駅はたくさんの人でにぎわっていました。キハ40系がホームの両側に並び、その間を乗客が行きかっている光景は、今では貴重なものだと思います。
(日田彦山線はキハ40系2両編成で運行)
私も日田彦山線に乗り換えて、小倉駅方面に移動します。日田彦山線も単線非電化路線でキハ40系によって運転されており、後藤寺線と似たような雰囲気ですが、先ほどは都市から郊外に向かっていたのに対し、この列車は北九州市という大都市に向かっているので、車内が都会っぽい雰囲気でした(笑)。
(大都会の象徴モノレール)
田川後藤寺駅付近では山の中を走っているような感じですが、志井公園駅のあたりから景色が開けてきます。志井公園駅はモノレールとの乗換駅でもあり、モノレールの線路が見えると一気に都会っぽさが出てきます。城野駅からは日豊本線に直通するのですが、私は小倉駅方面には行かず、日豊本線の下り電車に乗り換えです。大回り乗車では同じ駅を2回通ることはできないので、ここで小倉駅まで行ってしまうとそこで行き止まりになってしまいます。大回り乗車はルールを守って楽しみましょう。ちなみに、ソニック号を利用して小倉駅で降りずに博多駅・大分駅各方面に行く場合は西小倉駅経由扱いとするという特例があるので、ソニック号を利用して大回り乗車することは可能です(たぶん…)。