会津若松にて鶴ヶ城を見物【週末パスで行く新潟福島旅行⑥】

会津若松駅で、「SLばんえつ物語」号と「フルーティアふくしま」号を乗り継ごうとすると、2時間弱空き時間ができます。会津若松のシンボル鶴ヶ城を見物するにはちょうど良い時間だと思います。


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(会津若松駅ホームを埋める「SLばんえつ物語」号)


鶴ヶ城を見学

 会津若松駅には、磐越西線のほかに只見線会津鉄道の列車が乗り入れています。「SLばんえつ物語」号でも、会津鉄道の観光列車「お座トロ展望列車」の乗り換え案内をしていました。こちらも機会があれば乗ってみたいですね。会津若松駅頭端式ホームなので、ターミナル駅であるかのような貫禄があります。磐越西線の列車も会津若松を終点とする列車が多く、直通列車も会津若松駅スイッチバックし、進行方向を変えて出ていきます。


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(会津若松駅に停車する「お座トロ展望列車」)


 この辺りはもともと会津藩23万石の藩都です。戊辰戦争の戦場となり、一帯が焼失したとはいえ、若松の街は磐越西線が建設される時点でそれなりに栄えていました。このような場合、街の中心部に鉄道を敷くことは困難です。そこで、スイッチバック形式の配線とすることで、街中に敷く線路をできるだけ少なくしようという工夫がなされています。その一方で、会津若松駅には転車台や貨物取扱スペースもあり、なかなかの規模を誇っています。もっとも、これらは鉄道、特に蒸気機関車が全盛の時代には全国各地にある設備であり、当時はそれほど特別な設備というわけではなかったのでしょうか。会津若松駅の貨物取り扱いは、会津若松オフレールステーションで行われており、郡山駅との間でトラック便が行き来しています。そのため、今では会津若松駅に貨物列車がやってくることはありません。


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(広いスペースが広がる会津若松駅前)


 会津若松駅の駅前もかなりスペースが広く、これも貨物駅の名残でしょうか。駅からはレンタサイクルを借りて、鶴ヶ城を目指す予定でしたが、あいにくレンタサイクルは出払っていました。「SLばんえつ物語」号6両分の乗客が下りてきたので、その方々に先を越されてしまったようです。駅前では自転車を借りられませんでしたが、駅から5分ほど歩いたところにもレンタサイクルがあることを教えてもらいました。そこから自転車に乗り、鶴ヶ城を目指します。鶴ヶ城までは自転車で10分から15分ほどです。


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(現在の鶴ヶ城)


 現在の鶴ヶ城の基礎を作ったのは、戦国武将の蒲生氏郷です。蒲生氏は、近江国蒲生郡の豪族でしたが、蒲生氏郷織田信長豊臣秀吉に仕え、1590年に伊達政宗を抑えるために、秀吉によって会津に入れられました。蒲生氏郷は1592年から、それまでの黒川城に替わる白と城下町を整備し、1593年に望楼型7重天守を持つ鶴ヶ城が竣工しました。その後、江戸時代に入り、加藤嘉明が伊予松山から移されて、嘉明の子である明成が現在見られる層塔型天守を建築しています。その後、1643年に保科正之が23万石で会津に入り、会津松平家として幕末まで続きます (保科正之徳川家光の庶弟で松平氏に改名)。鶴ヶ城戊辰戦争で攻撃を受け、大きく損傷、その後、解体されます。現在の天守は、1965年に鉄筋コンクリート造で再建された、いわゆる復興天守です。外観は、幕末の姿をもとにしており、加藤成明が作った天守に近いと思われます。


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(赤瓦の鶴ヶ城)


 鶴ヶ城の特徴である赤い瓦は、明治時代の姿に近づけるために2011年に施工されたもので、ほかの城郭ではなかなか見られない色です。JRのポスターなどでも、赤瓦を強調して撮影していますね。春には多くの桜が咲き、桜の名所としても知られています。天守の内部は郷土博物館になっており、鶴ヶ城会津若松の歴史を知ることができます。また、最上階からは会津盆地を一望することができます。鶴ヶ城には1時間ほど滞在して、自転車を返却して会津若松駅に戻りました。


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(天守からは会津盆地を一望できます)