室戸世界ジオパークと高知城【四国満喫きっぷの旅3日目②】

甲浦駅からバスに揺られて「室戸世界ジオパークセンター」に向かいました。ここで室戸岬周辺の成り立ちについて勉強し、再びバスに乗って土佐くろしお鉄道奈半利駅に移動します。もともとはこの区間も鉄道で結ばれる計画だったそうです。土佐くろしお鉄道高知駅に移動し、高知城を見学しました。高知城の本丸御殿は日本唯一の現存する本丸御殿であり、一見の価値ありです。

 

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(高知公園から天守を見上げる)

 

 

・室戸世界ジオパークセンターと土佐くろしお鉄道

 今回は普通のバスに乗って室戸岬を目指しました。しかしながら天候がすぐれなかったため、室戸岬を観光することはせず、屋内でも楽しめる「室戸世界ジオパークセンター」を訪れることにしました。

 

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(ブルーの看板は黒潮のイメージなのでしょうか)

 

室戸岬ユネスコの「世界ジオパーク」に登録されています。「世界ジオパーク」に登録されると、それをアピールするための施設が建てられることが多いですが、「室戸世界ジオパークセンター」もその類のようです。展示内容は充実していて、室戸岬の成り立ちや、農業や漁業を中心とした人々の暮らしの歴史について学ぶことができます。しかも、「室戸世界ジオパークセンター」は入場料無料でした!これは行くしかありません。

 

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(大漁旗で歓迎してくれました!)

 

この類の施設は、大衆迎合にならず、その土地について簡潔・平易に解説してくれるものが多いように思います。以前訪れた「隠岐自然館」などもこの類だと思われます。

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 「室戸世界ジオパークセンター」から再びバスに乗り、1時間ほどかけて、土佐くろしお鉄道奈半利駅に移動しました。土佐くろしお鉄道は、宿毛窪川間の「四万十くろしおライン」と、ごめん―奈半利間の「ごめん・なはり線」を運営しています。「四万十くろしおライン」と「ごめん・なはり線」はJR土讃線を挟んで分断されており、直通列車は運転されていません。走っている列車も別形式であり、別の鉄道であるかのようです。土佐くろしお鉄道には奈半利駅から高知駅まで (土佐くろしお鉄道ごめん・なはり線」は、後免駅JR四国土讃線に接続しており、直通列車が多数運転されています)、1時間ほど乗っていたのですが、前日の疲れのためかほとんど寝ていました…。よって高知駅に着いてからのネタに移動します…。

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奈半利駅にはゆるキャラがいました)

 

・「とさでん」と高知城

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(高知駅から「とさでん」に乗車)

 

 高知駅から、土佐電気鉄道(「とさでん」)に乗って高知城に移動します。「とさでん」の正式名称が「土佐電気鉄道」だと思っていたのですが、調べてみたところ、2014年にバス会社と統合して「とさでん交通」という会社になったそうです。したがって、「とさでん」が正しい名称とのことです。四国には、高知県の「とさでん」、香川県の「ことでん」、愛媛県の「伊予鉄」という私鉄があり、市街地の鉄道交通が充実しています。なお、「とさでん」については「土佐電気鉄道」から「とさでん交通」になるときに高知県が50%出資し、第三セクター化しているそうです。「とさでん」は車体広告を早くから導入しているらしく、今回見ただけでもかなり車体がカラフルでした。

 

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(ジェットスターの広告をラッピングしたのがいました)

 

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(「とさでん」にもアンパンマン列車がいます)

 

 高知城の前で「とさでん」を降りました。現在の高知城は、江戸時代に山内一豊によって作られたものです。高知城には、城の正面玄関である追手門、城主の生活と政治の場である本丸御殿、城の象徴であり最終防衛拠点である天守が現存しています。特に本丸御殿が現存している城は全国で高知城のみであり、非常に貴重です。

 

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(高知城本丸御殿と天守)

 

もちろん見学することもできます。高知城の本丸御殿はそれほど大規模ではなく、コンパクトにまとまっている感じでしたが、見ごたえは十分でした。天守の方には、中に当時の高知城の模型が展示されていました。本丸御殿は当時に近い状態で公開されていて、天守の方で様々な解説がなされているという感じでした。

 

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(山内家の家紋「丸に土佐柏」)

 

山内一豊は数年前に大河ドラマ功名が辻」で取り上げられて有名になりました(?)。山内一豊はもともと豊臣系の小大名でしたが、関ケ原の戦いのとき、徳川方に味方した功により、掛川5万石から一躍し、土佐24万石の国持大名に出世しました。

 

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(山内一豊の築城による高知城)

 

現存する高知城山内一豊徳川家康の許可のもとに整備したものです。土佐はもともと長曾我部氏が統治してました。長曾我部氏は関ケ原の戦いで石田方についたために処罰され、国を取り上げられてしまします。それに代わって山内一豊が入国したのですが、長曾我部氏時代の士官階級の統治には手を焼きました。最終的に、長曾我部氏時代の侍を下士、山内家の侍を上士とする厳しい身分制を敷いて土佐を統治することになります。この身分制は幕末まで続き、結果として、幕末期、山内容堂をはじめとする土佐藩上層部は佐幕、武市半平太などの下士グループや坂本龍馬などの脱藩志士らは討幕で、最終的には薩長土肥の新政府軍の一角を担うという複雑な藩内情勢を生みます。

 

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(夫の一豊のための軍馬を買うことができ満足げな千代さん)

 

高知城には山内一豊一豊の妻である千代(見性院)、板垣退助銅像が建っていますが、坂本龍馬銅像高知城にないのはその辺の事情があるのかもしれません(板垣退助は上士の生まれで「土佐三伯」とも言われます)。ちなみに高知駅前には「三志士像」(坂本龍馬武市半平太中岡慎太郎)が建っています。

高知城には1時間半ほど滞在して高知駅に戻りました。

 

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(高知城の模型。威厳のある作りです)