大津から東海道線、草津線、関西本線、紀勢本線、参宮線を乗り継ぎ伊勢市へ【青春18きっぷで伊勢神宮参拝①】

青春18きっぷが1枚余っていたので、日帰りで伊勢参りに行ってきました。大津―伊勢市普通列車を乗り継いで約3時間半です。京都、大津から伊勢神宮方面へは、かつては直通の急行「志摩」というのがありましたが、近鉄との競争に敗れて廃止されました。現在、草津線関西本線では普通列車のみが運転されています。青春18きっぷでこの区間を移動するには、大津―草津草津―柘植、柘植―亀山、亀山―津、津―伊勢市とこまめに乗り換える必要があります。概ね30分に1回乗り換えるせわしない行程となります。

f:id:tyoutyouuo:20190115220031j:plain

(柘植駅に停車する221系電車)

 

・大津→草津→柘植

 大津から東海道線の普通電車に乗車しました。7:43大津発、223系電車に乗車しました。都会の電車という感じです。ここからこまめに乗り継ぎ、またいろいろな路線を渡って伊勢神宮にお参りします。しかし、時代をさかのぼれば、もともとはこの経路が幹線だったりします。その話はまたおいおい…。7:57草津着、草津からは草津線に乗り換えます。いつもなにげなく通り過ぎている草津駅草津線に乗車するのは初めてです。緑色の113系電車が停まっていました。

f:id:tyoutyouuo:20190115213325j:plain

(緑色の113系電車、首都圏では国鉄型は淘汰されましたが、この辺りではまだまだ現役です)

これは次発の電車で、私はホームの反対側の電車に停まっていた221系電車に乗車しました。221系電車はJR西日本初めてのオリジナル設計の形式です。当初は新快速など花型の運用に着きましたが、今では新快速運用を外れ、東海道線の快速電車や大和路快速、また草津線の普通電車として運用されています。

f:id:tyoutyouuo:20190115213439j:plain

(221系電車、今は草津線で余生を送っています。東海道線を走っていることもあります)

 草津線はもともと関西鉄道が建設した路線で、草津―柘植間は1890年に開業しました。その後、国有化され、1980年に全線が電化されて今に至ります。草津線旧東海道に沿って建設されており、草津―名古屋間は、東海道線経由よりも草津線関西本線経由の方が短くなります。しかしながら、草津―名古屋間を草津線経由で直通するする列車はなく、単線区間も多いため、所要時間が長くかかり、所要時間では東海道線経由の方が短くなります。東海道新幹線開業以前は東海道線のバイパスとしての役割も果たし、草津線関西本線経由の急行「平安」が運行されたり、貨物列車も運行されていましたが、現在では廃止され、普通列車のみの運転となっています。

f:id:tyoutyouuo:20190115213747j:plain

(草津線に入ると雪が見えるようになり、旅情が漂います)

 草津駅8:02発、草津線は全線にわたって単線ですが、直線区間が多いようで、列車はスピードを出して走行していました。途中から雪景色になり、旅情が漂い始めました。草津線には50分ほどの乗車で、8:52柘植駅着。柘植駅は、かつて急行列車が停車していたためにホームの有効長が長くなっていますが、現在停車する列車はいずれも短編成で少し寂しい雰囲気です。

f:id:tyoutyouuo:20190115213923j:plain

(柘植駅手前で右側から関西本線が合流、もともとは草津線が本線だったため、こちらは直進して進入します)

 柘植駅のホームに降りると、ホームのあちこちの忍者が隠れていました。ここから関西本線伊賀上野駅まで行き、伊賀上野駅から伊賀鉄道に乗り換えると忍者の里に行くことができるようです。また、柘植は一説には松尾芭蕉の生地とも言われており、ホーム上に松尾芭蕉の人形が展示されていました。柘植駅では乗換に20分ほどあったので、構内をうろうろしたり、駅舎の外に出てみたりしました。

f:id:tyoutyouuo:20190115214151j:plain

(柘植駅にはたくさんの忍者が隠れていました)

f:id:tyoutyouuo:20190115214251j:plain

(忍者による乗換案内)

f:id:tyoutyouuo:20190115214347j:plain

(松尾芭蕉のお人形もありました)

・柘植→亀山

 柘植駅からは関西本線に乗車しました、9:11柘植駅発。関西本線関西鉄道によって建設された路線で、もともと、草津―柘植―名古屋が本線系統でしたが、加茂―柘植―名古屋が開業し、1898年にこちらを本線とし、草津―柘植間は草津線とされました。そのため、柘植駅に入る線路は、草津線が直線になっているのに対し、関西本線の線路はカーブして進入しています。現在の関西本線は加茂駅と亀山駅で運行系統が分割されており、難波―加茂間、亀山―名古屋間は電化されているのに対し、加茂―亀山間は非電化です。この区間ではキハ120形が運用されています。関西本線のキハ120形の塗装は紫色です。キハ120形に乗車するのは大糸線以来でした。まさかここで再開することになるとは…。

f:id:tyoutyouuo:20190115214756j:plain

(関西本線のキハ120形)

 関西本線はちょうど柘植―亀山間で鈴鹿山脈を越えるようで、この区間ではキハ120形がうなり声をあげて走っていました。この辺りまで雪景色でしたが、亀山駅に着くころにはすっかり晴れていました。もはや鈴鹿山脈を越え、東海地方に入ったかのようです。9:36亀山駅着。柘植、加太 (かぶと)、関、亀山と、途中2駅しか挟んでいませんが25分もかかっていました。よほど駅間が長いようです。

f:id:tyoutyouuo:20190115214951j:plain

(亀山駅と鳥居、なかなか立派ですね)

 亀山駅JR西日本JR東海の境界駅で、隣のホームにはJR東海の車両が停まっていました。亀山駅でも次の列車まで時間がありましたので、改札の外に出てみました。外から駅舎を見てみると、なかなか立派です。亀山駅は、かつては鉄道の町として栄え、機関区や客貨車区が置かれていたことは多数の駅員さんが配置されており、また、多数の急行・特急列車が発着していました。しかし、名古屋から伊勢方面への短絡ルートである伊勢鉄道線の開業や、近鉄との競争などによって、現在ではすべて廃止されており、今は普通列車と快速列車が発着するのみとなっています。立派な駅舎は、往時の繁栄の面影を偲ばせるもののようです。駅周辺を歩いていると、往時の繁栄を偲ばせるものをもう一つ見つけました (転車台!)。ここで蒸気機関車の向きを変えていたようです。

f:id:tyoutyouuo:20190115215120j:plain

(奥に転車台が見えます)

・亀山→津→伊勢市

 亀山駅からは紀勢本線に乗り換えです、亀山駅10:10発。紀勢本線が全通したのは本線を名乗る路線としては遅く、1959年です。しかしながら、私が乗車した亀山―多気間はそれよりも早く開通しており、亀山―津間は関西鉄道によって1891年に開通し、津―多気間は参宮鉄道によって1893年に開通しました。

f:id:tyoutyouuo:20190115215332j:plain

(JR東海キハ25形)

亀山駅からはJR東海キハ25形に乗車しました。津駅10:27着、津駅は言わずと知れた日本一短い駅名、また、三重県の県庁所在地でもあります。津駅では3分の乗り換えで快速「みえ」に乗車、津駅10:30発。

f:id:tyoutyouuo:20190115215451j:plain

(津駅から快速「みえ」に乗車)

 快速「みえ」は名古屋―鳥羽間を伊勢鉄道線経由で結ぶ列車で、これによって名古屋―鳥羽間が2時間程度で結ばれています。これは近鉄特急とほぼ同じ所要時間で、料金的には近鉄特急が3030円、JR東海の快速「みえ」が2450円で、快速「みえ」の方が600円ほど安くなっています。私が乗車した快速「みえ」3号はなかなかの乗車率で、私も座席に付けず、立っていなければなりませんでした。それでも快速「みえ」が4両編成 (繁忙期は6両編成になることもあるようです) で、伊勢市より先は2両編成になることを考えると、近鉄に対してJRが圧勝していつというわけではないようです (近鉄伊勢志摩ライナーは6両編成)。快速「みえ」がキハ75で運転され、線路の線形も影響しているのかもしれませんが、これまでののんびりとした走りとはうって変わって、力強い走りで紀勢本線参宮線を駆け抜けていきます。まるで気動車特急のような走りでした。

f:id:tyoutyouuo:20190115215642j:plain

(快速「みえ」からの車窓、景色の流れが速いです)

多気からは参宮線に直通して伊勢志摩で乗車します。なお、参宮線は今では多気―鳥羽間ですが、当初は亀山―鳥羽間は全て参宮線であり、紀勢本線全通後に亀山―多気間が紀勢本線編入されました。つまり、私が亀山から乗ってきた路線はもともとすべて参宮線だったわけです。快速「みえ」に35分ほど揺られて伊勢市駅11:07着。伊勢市駅では多数のお客さんが下りました。ここで4両のうち2両が切り離されるのも納得です。

f:id:tyoutyouuo:20190115215831j:plain

(伊勢市駅に停車する快速「みえ」)